ヨットの小噺(その1) (その2)へ
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私が、ヨットを始め出してからもう10年近い日々が過ぎていった、いろいろな体験をしながら昨年 夢であったオフショアセイリングをセール大阪(ホンコン〜沖縄)で経験できたことは、これまでヨットの世界で出会った、多くの人達とOHYCの仲間の協力そして私の家族の御陰だと思っています。このページでは私のこれまでの人生とセールボートとの関係を小話しにして綴ていきます。
4月17日 兵庫県城崎郡日高町にある 日高町文化体育館で行われた
第2回植村直巳冒険賞受賞式に 米子さんと少なからず縁のあるOHYCから、
玉子丸の岡さんとわたしが参加しました。
ヨットとは、縁遠いはずの但馬で、日高町文化体育館前に、ヨットが
米子さんのエミュー(サプライズー25)が展示していました。
午後1時30分から植村直巳冒険賞受賞式式典そして、受賞記念講演が始まり
多くの聴衆の前での米子さんは、緊張ぎみで話も少しでしたが、選考委員を
交えての座談会では。米子さんらしいお話しをしてくれました。
23才の時。北転船で操業中、不慮の事故で左腕を失った。その後、陸に上が
り
いろいろな仕事についたがうまくいかず。再び海への思いが一層強くなった。
しかし『片腕のため、船舶免許の受験資格をみたさない』という理由で受験
できなかった。そこで、片腕でも操船できることを実証しようとフランスへ
行き、47才にしてわずか2ヵ月のトレーニングで日本に向けて出発した。
片腕でもヨットができる外洋も大丈夫なことを証明した、米子さんの快挙が、
今回の植村直巳冒険賞受賞で多くのハンディキャップをもった人達に夢を
与えることになると思います。
また多くの人達にヨットの安全性や面白さを知ってもらえる場になりました。
米子さんは5〜10年後 こんどは、世界1周を目指しているそうです。
このような式典を開いてくれた日高町、植村直巳記念財団、選考委員会そして
この式に参加した日高町の人達に、ヨット大好き人間として感謝します。
おいしい海。
人類は海からやってきました。
世界一周ヨットレースに参加した男はこう言いました。
「長く海の上にいたら、子宮の中にいるような気分になった」
そう、海は母親のように優しく寛容で、すべてのものを受け入れてくれます。
コンクリートジャングルでくたくたになった身体と
ささくれ立った心を、やすらかに癒してくれます。
それを最も体感させてくれる乗り物がヨットだと言われています。
燃料不要、「風」という天然の動力だけで動き、
その速度は自転車程度。世界中どこへでも行くこともできます。
きっと人間本来の生活テンポに合っているのでしょう、
風だけの力でセーリングし始めると
固くなった心がどんどん溶けていくのがわかります。
欧米では古くからこのヨットを楽しんできました。
もちろん、近代的乗り物が出現している現在でも盛んです。
親子何代にもわたり、ヨットを継承していたり
お年寄り夫婦でのんびり世界を巡っているヨットも珍しくありません。
最近、わが国でも始まりましたが、身体障害者の方々にも
ヨットの素晴らしさを知っていただこうという
活動「ヨットエイド」も活発におこなわれています。
目の不自由な方々による「ブラインドセーリング」も盛んで、
すでに世界大会も開催されており、日本からも参加しています。
すべてのものに寛容な海。
そこにいる人とヨットは私たちに美しいシーンを与えてくれます。
世界中で撮り上げた、おいしい海を召し上がれ。
ヨット・モーターボートの雑誌「KAZI」
編集長 田久保雅己
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